遡ること300年
これは18世紀、イギリスが見た黄金の夢のお話
18世紀ヨーロッパ
ヨーロッパ各国がおのおのの権力拡大のため積極的に領土拡大政策を採用。
その結果、ヨーロッパ中に戦火が広がっていた。
ヨーロッパ全土を巻き込み、熾烈を極めたスペイン継承戦争。
イギリスとフランスの間で植民地を奪い合ったアン女王戦争。
これらの戦争は
後にジョン・ローという「たった一人の天才」によって、
財政難をキッカケに国ごとミシシッピ計画へと導かれたフランスのみならず、
同時にイギリスをも財政的に窮地に陥れていた。
そのような状況の中、破産者や自殺者を多数生み、
のちに「バブル」経済の語源となる大事件がイギリスで起きたのであった
バブルの語源となった世界3大バブルの一つ「南海泡沫事件」編
登場人物自己紹介タイム
登場人物その1:ジョン・ブラント
初めまして!ジョン・ブラントと申します。負けん気が強く、とにかく金と権力が大好きです!!そのためには手段を問わない男だともっぱら評判です。
今回、オックスフォード伯爵に南海会社(なんかいかいしゃ)の社長になってくれと頼まれ、快諾(かいだく)した心の広い男です!
フランスのジョン・ローとかいうやつが嫌いです。よろしくお願いします!
登場人物その2:オックスフォード伯爵
コンニチワ。オックスフォード伯爵(はくしゃく)デース。本名はロバート・ハーレーって言いマース!イギリスで貴族&政治家をやってマース。トーリー党という政党で党首をやっており、今回騒動の中心となる南海会社(なんかいかいしゃ)は、イギリス政府があまりにお金がないので、私の発案で作られたものデース。
伯爵というのは貴族の身分の位のことで、5段階あるうちの3番目に偉いことを示す役職名みたいなものなんデース。
上から偉い順に、「公爵(こうしゃく)」、「侯爵(同じくこうしゃく)」、「伯爵(はくしゃく)」、「子爵(ししゃく)、「男爵(だんしゃく)」というランクになっていマース。ちなみにゴルゴ13で有名なデューク東郷は私の上司なんデース!(公爵は英語でDuke:デュークと呼ぶ)
日本語最近ベンキョー中デス。ヨロシクドーゾデース
あまりに大きすぎたイギリス政府の借金を返すために作られた「南海会社」
南海会社はもともと1711年に作られたんだぺぺ。この南海会社は普通の会社と違って、変わった作られ方をしたぺぺ。国の借金をそのまま引き受けて、それを完済するために作られた会社なんだぺぺ。
イギリス政府は、ヨーロッパとの領土拡大(りょうどかくだい)のために戦争をしまくっていたので、借金まみれでびっくりするくらいお金がなかったんだぺぺ!
「国の危機的な財政状況を救う・・・・」
隣国(りんごく)との戦争も多く、お金がない政府を救うためオックスフォード伯爵というとっても偉い人が、「イギリス政府の借金を代わりのすべて返します!」と債務の肩代わりする南海会社を作り、法律文書(ほうりつぶんしょう)に精通していたジョン・ブラントを社長にしたのが始まりなんだぺぺ。
ジョー・ブラント率いる南海会社は政府の借金を肩代わりにする代わりに、
- 政府から引き受けた借金の5〜6%を毎年受け取る権利
- 当時ヨーロッパで大流行であった「南米との独占貿易権」
を政府から付与されていたんだぺぺ!
ただ・・・
独占貿易権はあっても、実際に貿易できていたわけでもなく、事業としてなんとか生き残っていくことで精一杯で、とてもじゃないけど国の借金を返していくことなんてできていなかったんだぺぺ・・・
前回の「ミシシッピバブル編」でも出てきた南米大陸との独占貿易件ってなに?
フランスのミシシッピ計画の時にも出てきた「南米大陸との独占貿易権」について補足を。当時、ブラジルを除く南米大陸の権利をめぐって、スペイン、イギリス、フランスで外交問題に発展していたんだぺぺ。
当時は奴隷貿易が盛んで、メキシコ、ペルーなどから金属が発掘されていることが発覚してから、財政難に苦しんでいたヨーロッパの強国はなんとかしてこの南米大陸の利権を確保しようと頑張っていたんだぺぺ。
いつまでたっても南海会社の収入が「政府からもらう借金の利息だけ」だという状態だったので、議会からはぶちぶち言われて、そろそろブラント社長の首を切るか?という話まで出てきてしまったぺぺ。
そんなこんなで追いつめられたブラント社長は一発逆転を夢見て「国民に宝くじの販売」をやってみたんだぺぺ!
その結果これが・・・
大当たり!!
南海会社は凄い利益を出すことに成功したんだぺぺ!
※ちなみに宝くじは紀元前からギリシアで汚職(おしょく)を防ぐために、偉い人をクジで決めたのが起源なんだぺぺ。15世紀頃からヨーロッパを中心に、政府が財政難に陥るたびに宝くじの販売が行われてきたんだぺぺ。日本では江戸時代にお寺で販売されたのが初めてだと言われてるぺぺ。宝くじは当時からどの国でも賛否両論(さんぴりょうろん)で法律で禁止されてた国も多かったぺぺ。
その頃、フランスではジョン・ローによるミシシッピ計画が行われていたんだぺぺ。
- 通貨であった金貨や銀貨を銀行券と交換してそれを正式なお金とする
- フランス政府の借金を、ミシシッピ会社の株と国民と交換する
というド派手なことを成功させたことで、ジョン・ローとフランスはヨーロッパにおいて一躍注目(いちやくちゅうもく)の的になってたんだぺぺ!
ちょうど手元に宝くじを売って儲けたお金もある・・・
フランスでジョン・ローって言う人が、なんか凄いことやって景気が凄いことになっている・・・
フランスはライバル国だし自分だけ置いて行かれるのもまずい・・・
何よりこれだけ頑張ってきたんだから俺だってもっとお金がほしい!!
ということでブラント社長は、自分の手でジョン・ローがフランスでやっていることを再現してやろうと決意したんだぺぺ!
1720年1月、ジョン・ブラントは、イギリス政府の3097万1712ポンドにのぼる借金を、南海会社にそっくり引き受けてもらうという「南海会社側の提案」を議会で審議(しんぎ)させることに成功したんだぺぺ!
※ちなみに18世紀イギリスのGDPは約6300万ポンド。当時職人さんの年収が約40ポンド。このページでは当時の物価から推測&イメージしやすいように、1ポンド5万円と仮定&試算させていただきますぺぺ。試算元はこちらですぺぺ。
- 南海会社が政府の借金をさらに引き受けることで政府の借金は実質ゼロになる。政府は南海会社に引き受けてもらった借金は返す必要はない。
- その代わりに政府から新たに肩代わりした借金の5%を毎年政府から金利としてもらう
- 同時に現在国にお金を貸している国債保有者に対して、国債と南海株の交換を持ちかける
という、フランスのジョン・ローのミシシッピ計画と同じ「国債と株の交換して国の借金の帳消し」をしようと目論んだんだぺぺ!
ちょっとわかりづらいので図解していくぺぺ!
これが元祖の手口!南海株バブルのスキーム
一部の議員の中には、「国債100ポンド分に対して、南海株1枚と交換」という風に、もうちょっと具体的に言うと
国債額面100ポンド=南海株額面100ポンド
というふうに、国債→南海株に交換するレートを固定しようと主張する人がいたぺぺ。そうしないと、そもそも国債と南海株を交換できないぺぺ。
ただブラント社長はどうしても南海の株を固定のレートではなく、好きなレートで国債と株を交換したかったんだぺぺ。
株の額面って何?
株の額面って何?って思うかもしれないぺぺ。すごく簡単に言うと、「南海会社の額面100ポンドの株」を持つということは株を発行した時点での「南海会社が持つ資産の100ポンド分を保有する証明書」を持つということなんだぺぺ。
地球で会社を最初作る時は元手のお金が必要だぺぺ。例えば、株式会社ペペラが元手のお金が100万円あって、その100万円という会社の資産を保有する証明書である株を1万株発行したら、額面100円のペペラ株が1万枚あるということになるぺぺ。
額面100円ペペラ株をあなたが200円で買えば、それが時価となり、ペペラ株価は200円に上ることになるぺぺ。
ちょっと難しくて、ペペラだと頭こんがらがっちゃうぺぺ・・・
ブラント社長は、「南海株の額面と国債の額面で交換レートを固定」するのではなく、「南海株の時価と国債の額面」を交換レートにしたかったんだぺぺ。
そうすれば、仮に南海株価が200ポンドに上がれば、「国債額面100ポンド分x2枚と交換」となり、南海株1枚で多くの国債を手に入れることができ、政府から貰える金利も増える・・・
額面100ポンドの南海株で200ポンドの国債が手に入るため、100ポンドの利益になる。これでさらに額面100ポンドの南海株の発行ができて、それをすぐに売れば200ポンドの利益が上がる。
200ポンド儲かったら、今度は額面100ポンドの南海株を2枚発行して・・・
を繰り返せば、あっという間に億万長者になれる!!!!
とブラント社長は考えたんだぺぺ!
ここの部分がちょ〜っと難しいので図解していくぺぺ!
・・・
ってことをブラント社長は考えたんだぺぺ!
一部の議員が、ブラントの考えた南海法が危険だということを見抜き、反対していたにも関わらず、結局政府は南海会社に自由に国債と株の交換レートを決定させる権利を与えてしまったんだぺぺ。
というのも、ブラント社長が大蔵大臣をはじめ、イギリスの王であるジョージ1世、国王の愛人、政府や議会の用心に南海株価が上がるととっても儲かるストックオプションを賄賂(わいろ)として配って配って配りまくっていたからなんだぺぺ!
こうしてブラント社長は、南海会社の株価が上がれば上がるほど、自分たちと株を持っている政府の偉い人が得する仕組みを見事作ることに成功したんだぺぺ。
南海の国債購入について議会審議(ぎかいしんぎ)に入ると、どこからともなく(フランスと同じように)
南米との貿易で金銀がたっぷり入ってくる・・・
メキシコ人がイギリスの綿織物(めんおりもの)をたっぷり買い付けに来ていて南海会社にすさまじい利益をもたらしている・・・
なんていう身も蓋もない噂が飛び交うようになったんだぺぺ。それによって130ポンドだった南海会社の株価は300ポンドまで一気に上がったんだぺぺ!
そんな盛り上がりの中行われていた議会審議の結果、なんと南海会社は額面で3150万ポンド分の株を発行&販売する許可を得ることができたんだぺぺ・・・(一株額面100ポンドなので、合計で31万5000株まで発行可能)
これであとは株価を上げてあげてあげまくるだけ・・・
ブラント社長がついに本気を出したんだぺぺ!
ジョン・ブラントが南海会社の株価を上げるために使った手口
「何が何でも株価を上げること上げることだけが唯一利益を上げる道」
「混乱すればするほど良い。自分たちが何をしているか人々に理解できないようにしなければならない。そうしておけば当社の計画に人々が乗ってくるようになる。計画の実行が当社の事業である。」
※「バブルの歴史:チューリップ恐慌からインターネット投機へ」p116、117より引用
南海会社社長ジョー・ブラントは、こんなことを何千回を繰り返し言ったんだぺぺ。
政府も、株価が上がるととっても儲かるストックオプションで買収したし、「あとは煽って煽って煽りまくって株価を上げるだけ・・・」と考えるジョープラントを止めることができる人はもうイギリス国内にはいなかったんだぺぺ・・・
そのために手段は選ばず、南海会社の株価を上げるために、ジョン・ローがミシシッピ計画でやったように
- 株のローン販売
- 株担保融資
を行ったんだぺぺ!
ちょっとわかりにくいので、「株のローン販売と株を担保にして融資をすると、なぜ株価が上がるのか?」の仕組みについて図解するぺぺ!
南海会社が株価を上げるために利用した「株のローン販売」と融資で、株価が上がる理由
という感じで、株価が上がっていくんだぺぺ!
南海会社が、国債の額面を南海株価で交換するという南海法が成立した1720年4月7日のわずか一週間後、4月14日に直後に全4回に渡る1回目の現金での南海株の売り出しが行われたぺぺ。
額面100ポンドの南海株が1株300ポンドで、わずか1時間で200万ポンド分売れて完売になったぺぺ。
ちなみに国債と南海株を交換するという話だったのに、なぜか先に現金で株が販売されたんだぺぺ!
これはブラント社長が意図的に仕組んだことで、国債と株を交換する前に先に現金で売りに出すことで、投資家に南海株が持つ価値を一切計算させずとにかく買わせることを狙ってやったことなんだぺぺ。(ちなみに、南海会社の収入は国債引受でもらえる政府からの金利収入のみ。この時点で引受はまだしていないので・・・)
国債と株を交換するという話なのに、(例えば)国債100万円分と南海株がどれくらい交換できるのかが一切発表されていなかったんだぺぺ!にも関わらず、投資家は南海株に飛びついたぺぺ。
政府の偉い人は南海株のストックオプションで買収されていたぺぺ。ジョージ王子ですら南海株のストックオプションの割当(わりあて)を受けていたくらいで、とにかく政府の偉い人から一般の人も巻き込んで南海フィーバーはすごかったんだぺぺ。
2週間後の4月30日に行われた2回目の現金での株売り出しは、配当率を10%に引き上げると発表。
ちなみにブラント社長は、この配当を上げるという発表の直前に、配当が上がると儲かる金融商品を大量に買っていたんだぺぺ!(正確には南海株配当のコールオプション。簡単に言うと南海株の配当が上がるか下がるか?を予想する金融商品)
あまりに露骨(ろこつ)な手口すぎて、今だったら完全に犯罪だぺぺ・・・
ブラントの煽りの結果、5月末には550ポンド、6月の頭にはなんと890ポンドに株価が上がったんだぺぺ。ただ、この直後に640ポンドに急落。ブラントは焦って部下に南海株の買い支えを命令したんだぺぺ。
こんなことをしながら、6月15日に3回目の現金募集を実施。発行(株の売り出し)価格はなんと1000ポンドで総額5000万ポンドが売り切れ。
8月22日の4回目の株売り出しには、再び額面100円の南海株が1株1000ポンドで公募。1億ポンド分の株が発行&即売り切れたぺぺ。
南海株が上がる
↓
南海株を担保にお金を貸してあげる
↓
配当をあげると「約束」だけして南海株を買ってもらう
↓
南海株価はうなぎのぼり
という具合に、「南海株価が上がるほどお金が借りやすくなる。借りたお金でまた株を買う」という状態になってしまったため、南海会社の株価はたったの半年で10倍に跳ね上がり、国中で南海フィーバー状態だったんだぺぺ。
南海株を担保に借りたお金でみんなが買っていたのは、実は南海株だけではないんだぺぺ。
同時期に起きていたフランスのミシシッピ計画とは違いは、イギリスでは泡沫会社(ほうまつかいしゃ)と呼ばれる、ワケの分からない実態のない会社が乱立&南海フィーバーに乗っかったということなんだぺぺ。
バブルの語源となったこの泡沫会社のシャボン玉っぷりは本当にすごいんだぺぺ!ちょっと紹介していくぺぺ!
ハラハラ・ドキドキ、泡沫会社の恐るべきクオリティ
繰り返しになるけど、イギリスで南海会社で盛り上がるのと同時期、フランスもミシシッピ会社で盛り上がっていたんだけど、フランスとの一番の違いは、泡沫会社の乱立なんだぺぺ。
あまりに意味不明でワケの分からない会社が作られ、新聞などで株の購入募集が凄まじいほど行われ、みんながそれを買ったので、南海会社x泡沫会社のコラボレーションで「南海泡沫事件」と呼ばれるようになったぺぺ。
誰でも簡単に南海株を担保にお金を借りることができたので、そのお金を狙ってわけのわからない実体のないペーパーカンパニーが乱立。新聞広告で毎日株を買う人を募集するのが大流行りしてたんだぺぺ。
あまりに株価が上がる&株価が上がった分だけお金が借りられるので、みんな南海株にだけではなく、泡沫会社にも飛びついたんだぺぺ!
わずか1720年の1年間に190社が設立&株式募集がされてたんだけど、生き残ったのはたったの4社。ほとんどが実績も実体もない会社だったんだぺぺ。
※ちなみに、泡沫会社というのはある特定の「泡沫会社」という名前の会社があったわけではなく、当時乱立していた「泡のようで実体のないペーパーカンパニー」が乱立しており、それら全体を指して泡沫会社と呼んでいたんだぺぺ。「バブル」という言葉の語源となったのが、この泡沫会社の乱立なんですぺぺ。
泡沫会社の乱立はあまりに凄まじく、株を買ってはそのまま逃げられて一文無しになる人が後を絶たなかったぺぺ。
特に悪質で有名な泡沫会社に夢中で投資する人々を風刺(ふうし)した「泡沫会社トランプ」なんていうのも発売されてたぺぺ。
ここであの大人気の南海トランプにも取り上げられた泡沫会社中から、ペペラの泡沫会社ランキングをどーんと発表していくぺぺ!
ペペラの勝手に格付けランキング「泡沫会社」編
第3位 ピュックル機械会社
業務内容:丸や四角の砲弾や砲丸を発射させ、戦争に大きな革命を起こそうという会社
海外の愚か者ではなく、国内の愚か者たちを
叩きのめすたぐいまれなる発明。
だが、友よ、この恐怖の機会を恐れるなか。
これに乗じた連中だけが傷を負うのだから
※「狂気とバブル」二章より引用
第2位 イングランドの鋼と真鍮(しんちゅう)の会社
業務内容:鋼と真鍮を使って何かをする会社
金貨と銀貨をイングランドの銅に
交換したがるせっかちな愚か者。
小路に行けば、自分の馬鹿さ加減を思い知る。
高価な金属を粗悪な真鍮と交換するなんて。
※「狂気とバブル」二章より引用
第一位 「大いに利益になるのだが、それが何であるか誰も知らない」会社
業務内容:???
・・・
・・・
惜しくもランキング外の会社としては、
「髪の取引をする会社」、「水銀を純金属へ変換する会社」、「永久運動を開発する会社」、「海水から金を取得する会社」・・・etc
などなど、夢と希望に満ちた会社がたくさんあったんだぺぺ!
こんな感じで会社名と絵柄、それに風刺コメントの書かれた泡沫トランプは大人気。
ペーパーカンパニーである南海会社だけではなく、南海会社の株価が上がることで、こういう企業でもみんな喜んで全財産&さらにお金を借りて投資をしてたんだぺぺ。
南海会社や泡沫会社に熱狂した人々のフィーバーっぷり
そんなこんなで、イギリスでは一般国民だけではなく、貧民層を含むすべての国民が南海会社の株に夢中になってたぺぺ。国王ジョージ一世、皇太子、公爵から男爵まで100人以上の貴族や300人を超える下院議員3回目の南海株売り出しで株を買っていたんだぺぺ。
株価が上がるにつれて、不動産ブームが起きて地価が跳ね上がったんだぺぺ。とにかくイギリス中が長年の憧れだった家や馬車を買ったりとにかく贅沢をしまくったんだぺぺ。
セントジェームス宮殿では国王の誕生にパーティで100ケースを超える赤ワインが消費されて、5000ポンド(約2500万円)の宝石を散りばめたドレスを着て現れる侯爵夫人もいるほど贅沢してたんだぺぺ。
株の売買をするエクスチェンジ通りという場所周辺では、居酒屋や喫茶店、更には食堂に至るまで連日お客さんでいっぱいで、信じられないような騒ぎになってたみたいだぺぺ。
ただ、ブラントは内心焦っていたんだぺぺ・・・
泡沫会社の乱立で焦ったブラントは・・・
泡沫会社があまりに多くなってきたので、ブラントはとっても焦ってたんだぺぺ。なにせ泡沫会社の数が増えていくと、なんか株を買ってくれる人がそれだけ減るからなんだぺぺ。
「なんとしても、この大フィーバー確変状態を独り占めしたい!!!」
6月9日、そんな熱い想いから、ブラントはすでに南海株で買収済みの政府の偉い人たちに
- 会社の設立の議会による認可の義務付け
- 既存の会社の本業以外の事業多角化の禁止
を義務付けた「泡沫会社法」を作ることを迫ったんだぺぺ!
これでいろいろな事業をして業績を上げているライバル会社は困ることになるし、訳の分からないペーパーカンパニーを一掃して、南海会社だけが人気が出るはずだと考えたんだぺぺ!
政府も、国民から泡沫会社の詐欺に関して文句の声が上がっていたことに加え、政府内の偉い人がみんな南海株を持っていたのでこれに反対する人はほとんどいなかったんだぺぺ!
南海会社以外の事業の多角化をブラント&政府が禁止したとき・・・
最初は、ブラントの思い通りには行かず、泡沫会社の株価は上がり続けたんだぺぺ。それを見て怒ったブラントは法務大臣に、実際に事業の多角化をしていた泡沫会社を法で裁くようにしてもらったんだぺぺ。
同時に、ブラントは南海株のその年の配当を10%→30%に引き上げ、来年以降は配当をなんと年5割を保証すると発表したぺぺ!
しかしこれをきっかけに・・・
なぜか南海株は大暴落・・・
つい6月までは、(たったの6ヶ月間で)8倍にもなった1050ポンドだった株価は、8月にはあっという間に850ポンドに下落。
画像引用:http://bullmarketthinking.com/wp-content/uploads/2013/04/South-Sea-Bubble.jpg
さらに政府が、事業を多角化した泡沫会社を実際に訴えるという令状(れいじょう)が発表されると、株式市場は大パニックに。
南海会社だけではなく、泡沫会社の株価も軒並み暴落・・・
不動産事業に事業拡大をしていた水道会社は305ポンド→30ポンドに
当時の保険会社大手2社の株価は75%大暴落・・・・
南海株を担保に借りて泡沫会社の株を買っていた人がとっても多かったので、泡沫会社の株価が下がるとその損失穴埋めのために、南海会社の株も売らざるを得なくなって、大パニックになったんだだぺぺ!
ブラントが、南海株価を上げるためにしたことが、皮肉にも南海株価を下げることになったなんてなんか悲しいぺぺ・・・
5割配当保証という、南海会社の大型配当アップの発表も何の効果もなく、どんどん株価は下がっていったぺぺ。
さらにブラント社長が株を売り抜けたとの噂が飛び交い、9月中旬になると800ポンドまで下がっていた南海株価は400ポンドまで下落。
南海株を担保にした融資の担保評価として600ポンドを基準にしていた銀行が多かったので、株を担保に融資をしていた銀行がドンドン破綻し始めたんだぺぺ!
その結果9月末に南海株は200ポンドを割り込む水準に落ち込み、たったの4週間で75%も下落してしまったんだぺぺ!
この頃には、南海会社の経営陣も株価を維持することを完全に諦めて、持っていた南海株を売却し始めたぺぺ・・・
当時イギリスの大銀行、イングランド銀行は政府から公的信用を維持するため南海会社の債務を肩代わりするように圧力を受けていたぺぺ。だけど、南海会社の債務を肩代わりすると自分たちが潰れてしまうのでこれを拒否。
これをきっかけに国中のいたるところで信用がなくなり、お金を貸してくれる人が現れなくなって、金利はなんと20%を超えるところまで行ったぺぺ!
企業や銀行がお金を借りる金利が、今の日本の消費者金融から借りる時の金利より高くなってしまったということなので、これは本当にすごいことだぺぺ・・・
ここで、南海バブルをよく知る人に突撃インタビュー
「正直言って、連中がもう少し長く、ペテンを続けていられると思った。・・・いずれはたんが来るとは予想していたが、考えていたより2ヶ月早かった」
※当時の下院議員ジェームズ・ポープの証言
「ほとんどの人がいつかは破綻すると予想していましたが、だれも、それに備えていませんでした。ちょうど死とおなじで、夜盗のように忍び寄って来るとは、だれも考えていませんでした。」
※アレグサンダー・ポープ主教への手紙
「幽霊のように全員黒死病にかかっているかのようだった。人々がここまで意気消沈しているように見えたことはなかったからだ。私は死ぬまで彼らの顔を忘れないだろう。」
1720年10月1日アップルジャーナル紙
※「バブルの歴史:チューリップ恐慌からインターネット投機へ」p142〜P145より引用
この南海株の暴落で損失や借金の苦で自殺する人も多く、破産者が大量発生。イギリス中の人がどん底に落ちてしまったんだぺぺ。
そんな中、ブラントをはじめとする南海の経営陣は(通算合計4回にわたって行われた)株価がピークの4回目の南海株売り出しの時に、こっそり株を売り始めて自分たちだけは莫大な利益を確定していたんだぺぺ。
ここで、この泡沫会社や南海会社の株価暴落で大損をした当時の有名人を一部紹介するぺぺ!
南海バブルでとっても損をして凹んだ有名人達
イングランド銀行取締役 ジェスタスさん
214万7000ポンドの負債を抱え破産(約1073.5億円)
シャンドス侯爵
売りどきを逃し、70万ボンドの含み益を失う(約350億円)
アイザック・ニュートン
株価が上がり切らないうちに売却して利益を出した後、株価頂点で買い戻してしまった結果、2万ポンドの損失(約10億円)
※これは、当時ニュートンの仕事であった造幣局監事の基本給に換算すると、約40年分の金額。
『天体の動きなら計算できるが、人々の狂気までは計算できなかった』との名言を残す。
「金持ちになる方法」という記事を、雑誌に執筆した謎の男性ユースタスさん
金額は不明だが、巨額の財産を失い自殺
※1ポンド5万円試算
その後&最終的にどうなったの?
南海会社の株価が暴落した時のイギリス国民の怒りは、イギリスの歴史上見たことがないほど激しかったぺぺ。特に南海会社の経営陣の怒りは凄まじく、国民を煽って株価を上げる裏で、自分たちだけは暴落前に株を売っていっぱい儲かっていたことに対してみんな怒り狂ってたんだぺぺ。
当然、南海株のストックオプションをもらってひっそり儲けていた政治家の人たちにも怒りの矛先は向いたぺぺ。
国民はウェストミンスターという王様が住む宮殿や、イングランド国教の一番大きな教会ところに集まって暴徒と化し、南海経営陣や政治家が得た利益を没収(ぼっしゅう)するよう暴れまわったんだぺぺ。
議会では不正や腐敗(ふはい)、賄賂について激しく議論され、取引の実態を調査するための秘密委員会(ひみついいんかい)が組織されたぺぺ。
南海会社の帳簿(ちょうぼ)を調べてみると、経営陣が南海法設立のために政治家に贈った賄賂は、架空の南海株を含め125万4500ポンドにものぼる額だったぺぺ。
その結果、南海の取締役でもあった下院議員は除名、大蔵大臣をはじめとする何人もの南海会社取締役が、泣く子も黙る刑務所のロンドン塔に送られたんだぺぺ。さらに南海会社の取締役が南海株で儲けた利益を没収する南海被害者法(なんかいひがいしゃほう)も可決(かけつ)。この処分の結果、ブラント社長は資産18万3000ポンド(約91.5億円)のうち、5000ポンド(2.5億円)を残し没収。他にも経営陣なども含め、合計200万ポンド(1000億円)以上が政府によって没収されたぺぺ。
また「株取引の悪名高い慣行を将来防止することによって信用の確立を強化する法案」という、とっても長い法案も議員から提出されたぺぺ。
(この時は可決されなかったものの)この15年後、イギリス議会はこの法案を基に「空売り、オプション&先物取引を禁止するサー・ジョン・バーナード法」として可決。この法律は19世紀半ばまで効力を発揮したぺぺ。
議会での南海会社の責任追及をきっかけに、
「株式会社が一般国民に株を売って資金調達する場合は、公正な第三者による会計記録の評価が不可欠である」
と認知されるようになり、
間も無く、公認会計士制度及び会計監査制度が誕生することとなった。
あまりに多くの人々が
南海会社や泡沫会社が作り出した「黄金の夢」に陶酔、イギリス中が傷ついたこの「南海泡沫事件」をきっかけに、
後に世界中の保守的な人間が、人々が同じ過ちを犯しそうになるたびに、
それを「バブル」と呼び、警鐘を鳴らすようになった。
「ミシシッピ計画」と「南海泡沫事件」が起きるおよそ1世紀前のオランダ・・・
そこでは世界3大バブルの一つに数えられる、人類史上例を見ないほど酔狂なバブルが起きていた
ということで、次回第3話は世界3大バブルで最も古く、最も不思議バブルであるチューリップバブルを体験していきますぺぺ!その次からは近代の金融バブル編に突入する予定ですぺぺ!
長い文章を読んでいただいて本当にありがとうございましたぺぺ!
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